禅語「両忘」とは?相対する世界を超えて

両忘 禅語 禅の言葉

禅の世界では、心の平安を得るための重要な鍵として、二元論的な思考から離れることが挙げられます。

私たちは、日常生活において「良い/悪い」「正しい/間違っている」「好き/嫌い」など、常に様々な二項対立に直面し、無意識のうちにどちらか一方を選び、判断を下しながら生きています。

しかし、禅は、このような白黒はっきりつけたがる思考パターンから意識を解放し、物事をありのままに捉えることを重視します。

禅語の「両忘」は、まさにこの二元対立を忘れることを意味します。

是と非、善と悪、美と醜、愛と憎といった相対する概念にとらわれず、それらを超越した境地に至ることを示唆しています。

これは、単に「どちらでもいい」と投げやりになることではありません。

むしろ、白黒つけられない曖昧な状況や、葛藤を生み出す対立する概念を、そのまま受け入れることを意味します。 言い換えれば、「人生の不条理」を無理に理解しようとせず、不条理としてそのまま受け入れる生き方とも言えるでしょう。

両忘の語源と由来

残念ながら、明確な語源や由来は、定かではありません。

しかし、「両忘」と同様の意味を持つ禅語として、「内外両忘」「善悪両忘」「両頭坐断」などが挙げられます。

これらの言葉からも、「両忘」が禅宗において古くから重要な概念として扱われてきたことがうかがえます。

両忘の解釈と現代における応用

「両忘」は、現代社会においても様々な形で解釈され、応用されています。

仕事と好きの境界線 好きなことを仕事にすると、純粋な「好き」という気持ちが薄れてしまうことがあります。

これは、仕事であるがゆえに生じる責任やプレッシャーなど、様々な要因が「好き」という気持ちに影を落とすためです。
このような状況において「両忘」の考え方を適用すると、「好き」と「仕事」という二項対立から意識を解放し、目の前の仕事に集中することができます。

東日本大震災と情報 東日本大震災の際、様々な情報が飛び交い、人々は不安に駆られました。

正確な情報と不確かな情報、楽観的な見解と悲観的な見解など、相反する情報に翻弄され、冷静な判断が難しくなる状況でした。

このような状況下では、「両忘」の視点を持つことで、情報に振り回されることなく、目の前の現実を受け止め、冷静に行動することができるかもしれません。

日常における葛藤 日常生活では、常に「あれかこれか」の選択を迫られます。

進学、就職、結婚など、人生の岐路においては、特にその傾向が強くなります。

このような状況で「両忘」の考え方を持ち込むことで、二者択一の発想から脱却し、新たな選択肢を見出すことができるかもしれません。

コロナ禍における不安と喜び コロナ禍において実施されたアンケート調査では、多くの人が将来への不安を抱えている一方で、日々の生活の中に小さな喜びを見出しているという結果が出ています。

これは、困難な状況下でも、前向きに生きようとする人間の力強さを示すものであり、「両忘」の考え方に通じるものと言えるでしょう。

価値判断からの自由 「両忘」を受け入れることによって、私たちは既存の価値観や偏見にとらわれず、より自由な視点で物事を判断できるようになります。

両忘と関連する禅語・仏教用語

「両忘」と関連する禅語や仏教用語としては、以下のようなものが挙げられます。

内外両忘:
外界と内面、すなわち客観と主観の両方を忘れること。

善悪両忘:
善悪の判断、道徳的な価値観から離れること。

両頭坐断:
二つの対立する考え方の両方を切り捨てること。

無我:
自我への執着を捨てること。

これらの言葉は、いずれも二元論的な思考から離れ、物事をありのままに捉えることを重視する仏教の思想を反映しています。

禅の公案における両忘

禅の公案には、「両忘」に通じる考え方が示されているものが多く存在します。

例えば、趙州和尚の公案に、次のようなものがあります。

僧が趙州和尚に「道とは何か」と尋ねたところ、和尚は「塀の外だ」と答えました。

これは、道を言葉で説明することの無意味さを示唆したものです。

しかし、僧は「それは問いません」と、和尚の言葉の真意を理解できずにいました。

そこで和尚は「では、何を知りたいのか」と、僧自身の思考の枠組みを問い直したのです。

この公案は、「道」という概念にとらわれることなく、目の前の現実をありのままに見つめることの重要性を示唆しています。

これは、「両忘」の考え方にも通じるものと言えるでしょう。

両忘の実践

「両忘」を実践することは容易ではありません。

しかし、日常生活の中で意識的に「両忘」の視点を心がけることで、心の平安に近づくことができるのではないでしょうか。

瞑想:
静かな場所で目を閉じ、呼吸に意識を集中することで、雑念を払い、心を静めることができます。

自然との触れ合い:
自然の中に身を置くことで、日常の喧騒から離れ、心を解放することができます。

茶道:
茶道の所作を通して、心を整え、集中力を高めることができます。

結論
禅語「両忘」は、二元論的な思考から離れ、物事をありのままに受け入れることを説いています。

これは、善悪、正誤、好き嫌いといった二項対立を超越し、より高い精神性へと至るための道標と言えるでしょう。

「両忘」の実践は、簡単なことではありません。

しかし、日常生活の中で瞑想や自然との触れ合いなどを通して「両忘」の視点を意識することで、心の平安に近づき、周囲の人々や環境との調和を図り、より穏やかな日々を送ることができるのではないでしょうか。

特に、禅の入門者にとっては、この「両忘」という言葉を理解することは、禅の思想の核心に触れるための第一歩となるでしょう。

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